現生人類の祖先がアフリカを出たのはおよそ7万年前のことですが、かれらの子孫がやがてアジアに到達し、さらに太平洋へと進出をはじめたのはわずか4千年ほど前のことにすぎません。人びとは大型のカヌーにタロイモの苗、ココヤシ、イヌ、ブタ、ニワトリ(そしてネズミ)などを詰め込んで、用心しいしい、おっかなびっくり、広大な海へと乗り出していきました。
運よく島にたどりついた人びとは、まずは島の先住者である海鳥など、人を恐れることを知らなかった生き物を次々と捕獲し、絶滅させていきました。とはいえ海の生き物への影響は陸上の生物ほどではありませんでした。当時の漁獲方法で海の生き物を根絶やしにするのはとうてい不可能だったからです。
狩猟のかたわら、人びとは島の開墾にも着手しはじめました。太平洋の島々に住むのは海の幸に依存する「海の民」であると一般には思われていますが、じつは彼らの祖先は農耕民族で、いまもなお農耕民族であり続けています。主食はタロイモであり、魚など、どちらかといえば副食にすぎません。とうぜんのことながらこうした農耕民族が住み着きはじめるとすぐに、島の狭い陸上風景は一変し、切りひらかれた密林には家屋が立ち並び、ブタやニワトリがはなされ、ココヤシやタロイモも植えられて、私たちがイメージする現在の「南の島の風景」が形作られていきました。
海中を比較的自由に移動することができる海の生き物に比べて、島の陸上生物には固有種も多く、小さな目立たないグループのいくつかはいまも人びとの目にふれにくいところでそっと生き続けています。わたしが住んでいた島でも、いまだに数多くの新種を発見することができましたが、その一方で、人間の登場によってこれまでどれほどの数の生き物たちが消えていったのかは、いまとなってはもはや想像にゆだねるしかありません。
いま島を訪れる観光客はこうした事情をまったく理解していません。のみならず、島で生まれ育った人たちにしても、もうすっかり変わってしまったいまの風景を本来の島の風景だと思い込んでいます。外から訪れた学者の中にも、この風景こそが本来の島の風景であると思い込んでいる人がいて驚いたことがあります。
私たちは何ごとも自らの短い人生経験にもとづいて判断します。たとえ、はなはだしい自然破壊の末に現れたいまの風景であっても、そこにココヤシのゆれる砂浜や色とりどりの魚の住むサンゴ礁さえあれば、観光客にも、そして島の人にとってもそれで十分なのです。そしてこれこそが人間が生きることの真の意味であり、宿命でもあります。
私たちが持つ善意、正義、理想といった、人間を尊い存在にしていると称される一群の基準ですら、ほんとうのところは自分ばかりに都合のよい「言いわけ」にすぎません。残念ながら、私たちがそうした事実をすなおに受け入れることはどうしてもできません。何不自由ない国で育ち、自然の守護者を自認している人たちにおいてはなおさらのことでしょう。