話のたねのテーブル

植物や虫、動物にまつわるコラムをお届けします。
No.43
「ガラパゴス」にはならなかった島―その1.まなざしのちがい―
執筆者:高橋敬一
2009年08月05日
理想的な「自然と共生する楽園の光景」です。でもけっきょくのところ、この鳥は少年の晩ご飯のおかずになってしまいました。

 今回の写真をみて「あれ?」と思われましたか? じつはきょうから5回に分け、太平洋にある「ごく普通の南の島のお話」をします。より正確にいえば「ごく普通の南の島のほんとうのお話」です。「え? 何それ?」っていま思われましたか?

 日本でも、新聞や雑誌などのなかに、ときどき南の島の写真がでてきます。そしてそこには「南の楽園」とか「天国に近い島」とか書いてあります。日本人がじっさいにそこへ行って何かを見たりしても、ともかくも南の島は楽園であり天国であるというイメージがあるものですから、「ああ、わたしはいま楽園にいるんだ」とか思って、たとえ目の前に何かわけの分からない光景がよこたわっていても、それはあっさりわきへどけておき、エアコンのきいた部屋のベッドにあおむけに寝ころんで、「やっぱりここは天国だぁ」なんて思ったりします。日本へ帰ってきても、サンゴ礁の海やココヤシのゆれる砂浜やホテルの部屋から見た夕日の写真なんかを友だちに見せては、「よかったよぉ」なんて言ったりします。もちろんそれはそれでいいのです。それはあるひとつの独立したりっぱな経験であって、人は一つの現実において様々な解釈を同時にもつわけにはいかないからです。なによりたいそうなお金をはらってやってきたのですから、本人がどう感じようとそれはまさに権利としてほしょうされてしかるべきなのです!
 「なぁんだ、そんなことか」って、いま鼻先で笑われませんでしたか? 
 では「ほんとうのお話」にもう少し踏みこんでみましょう。要するにごく普通の南の島(島の名前はナイショにしておきます)で、観光客用に用意された風景や、島の人が訪問者に喜んで話す壮大な理想や、ラジオから垂れ流される大演説や、道路上の横断幕に書かれた大スローガンや、パーティーで見せるとびきりの笑顔や、うまい金儲けの話などを、わたしたちは決して安易に信じてはいけないということです。
 わたしがお話ししたいことはそういうことです。つまりわたしたちは、わたしたち特有の「ある先入観」をもって南の島へ行き、わたしたち特有の「ある意向」というものにのっとって島という世界を了解するのです。でもそれは、そこに住んでいる人たちや生き物たちが了解している世界とは、じっさいだいぶ違うものらしいのです!
 さらに、島に住んでいる人たちが、彼らが考え、感じ、信じていることについて正直にわたしたちに話してくれるとは限らないのです(まったく、じつに、「限らない」のです!)。なぜならば正直に話してしまうと都合の悪いことが起こるからです(まったく、じつに、「都合の悪いこと」は起こるでしょう!)!
 今回の連載の題名は『「ガラパゴス」にはならなかった島』としました。この題名にした理由は連載のさいごにお話しすることにいたします。

じつのところ、そこに住む人にとって島は海に囲まれた「監獄」です。どこにも逃げ場がありません。