話のたねのテーブル

植物や虫、動物にまつわるコラムをお届けします。
No.90
「ガラパゴス」にはならなかった島―その9.島の人たち(その2)―
執筆者:高橋敬一
2010年05月26日

 島のがたぼこ道を運転していると、助手席に乗っているフレッドが言いました。
「おれがガキだった頃はテレビなんかもなかったし、夏休みになるとおふくろに一ドルもらって釣り糸買って、毎日毎日釣りをしていたなあ」

 フレッドはこの小さな島国の農業局植物貿易課長で、この国の農業を一人で背負っています。年はまだ三十代前半です。
「ああ、おれも同じようなもんだったよ。おれの場合は虫採りばっかりだったけど、でも毎日外にいるんでやっぱり真っ黒になっちゃってさ」
 昔をなつかしく思い出しながら、私は真っ黒に光っているフレッドを見てそう言いました。するとフレッドがまた言うのです。
「あの頃はさあ、ほんっとに真っ黒になっちまってさぁ。なつかしいなあ。顔なんかほんとうに真っ黒だったよ」

 大きなおにぎりのような体型のフレッドは、今だってみごとなくらいに黒々と光っています。それなのに少年のころはいまよりももっと黒かったと言うのです。私は後部座席にいるアルベルトさんがどんな顔をしているか知りたくて首をねじって振り返ってみました。
 と、アルベルトさんは車にがこがこ揺られながら、大きな口を開けていびきをかいているではありませんか。
 フレッドはハワイ大学を卒業した超エリートです。奨学金を得てアルバイトもしながら必死に勉強したハワイでの思い出話を、私も時々聞くことがありました。他の島人とは異なり、フレッドはフィリピン人を馬鹿にするようなことは決してありませんでしたし、私に金を貸してくれと言ったこともありませんでした。
 いつも私に気を遣い、農業局でただ一人、島の将来を真剣に考えていました。この島の農業はすべて彼一人の肩にかかっていたのです。
 ある日、彼は私に言いました。
「あと何年かしたら、ここを辞めようと思うんだ」
「アメリカへ行くのかい?」
「うん、そう思ってるんだ。子供のこともあるし」

 いまでも私は、彼のことを思い出すと暖かい気持ちになります。一人息子を溺愛しながら、息子の将来を案じているフレッドの苦悩を、私は彼の身近にいていつも感じていました。
 私が心から信頼を置いていた島人は、彼一人ではなかったかといまも思うのです。

フレッド
島の飛行場(太平洋戦争中に日本軍が建設したものです)